子どもたちの建築デザインー学校・病院・まちづくりー(その4)
- 2009年6月 5日(金) 22:50 JST
- 投稿者: kawamoto(oidc)
著 者: 鈴木 賢一 |
ISBN:4-540-06245-X |
発行所: 農山漁村文化協会 |
発行日:2006年07月 |
2章 子どもと学びの環境—欧米の学校建築に学ぶ— 遊びをせんとや生まれけむ 遊びながら学ぶ よりの抜粋
- 子どもたちが生き生きと健やかに育つことが、困難になってきていることを誰もが実感しています。寝食忘れて思いきり遊ぶことのできる身近な自然はありません。大人たちの仕事や生活にさりげなく触れる機会も失ってしまいました。かつてまちの中には、生活する場と働く場がほどよく混在しており、子どもは大人社会の現実が顔をのぞかせる「道」で遊んでいました。地域の中に子どもからお年寄りまで楽しめる四季折々の伝統的行事や祭りが受け継がれ、特定の地域に生活することの共同意識や帰属感を育んでいました。しかし今では地域全体で楽しむ行事は敬遠され、家庭内での個人的楽しみや地域外へのレジャーが好まれ、地域と子どもとの接点は消滅寸前です。
- これまで子どもと学びの環境をテーマに「学校」を取り上げてきましたが、「学校」は子どもたちが「学ぶ」ことに対してひどく寛容なのに、「遊ぶ」ことに関してはしばしば冷たいものがあります。親も社会も、目標の明確な「学び」を強要するばかりで、「遊び」を受け入れるだけの余裕がありません。にもかかわらず子どもに対する自慢話は、きまって「昔はよく遊んだものだ」です。
- 「遊び」を語らずして、子どもの本質を語ることはほとんど不可能です。子どもにとっての「遊び」は生活のすべてである、とまで言い切る哲学者もいます。子どもにとってそれほどまで意味を持つ「遊び」とはいったい何なんでしょうか。例えば、自立した大人として成長するためのトレーニング、あるいは集団社会に入り込むためのシミュレーションと見ることができます。とすると、「遊び」と「学び」とはいったいどこが違うのでしょうか。「学び」には目的があるが「遊び」は目的をともなわない、という違いがあるかも知れません。しかし、子どもにとって遊ぶこととはつまり学ぶことであり、その違いを探すこと自体があまり意味を持ちません。(P187)
鈴木氏が指摘しているように、こどもたちの育ちの場が少なくなってきているのは事実であり、また、異なる年齢(縦社会)による集団の遊びの機会も減っているようです。
このような社会や地域共同体の変化が及ぼすこどもたちへの影響を調べることは大変重要です。
こどもOS研究会で行う「ぼくらの町のお散歩会!」では、「遊び(=学び)」を通じて「こどもOS」の様々なスタイルを観察・発見するとともに、現代のこどもたちにどのような遊びの場が残されているのか?地域を変えていくつかの小学校とその周囲で調査を行う予定です。
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