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ムーミンパパの「手帖」トーベ・ヤンソンとムーミンの世界(その5)

ムーミンパパの手帖

著 者: 東 宏治
ISBN:4-7917-6312-2

発行所: 青土社

発行日:2006年12月30日

 4 スナフキンと自由 よりの抜粋


  • スナフキンがとりわけ嫌うものが三つあって、ひとつはいま見た「家」、もうひとつは他人のおせっかい(「ぼくの探しているものは、おせっかいされないことさ(同139/146頁))、三つ目は、例えば「立入禁止」などと書かれた看板である。とくに看板に対する嫌悪は、いつも冷静な彼らしからぬ感情的な異常な興奮ぶりを見せる。『ムーミン谷の夏まつり』のなかでは、彼は、公園番の夫婦が芝生のまわりに囲いをし、いたるところに「煙草をすうべからず」、「芝生の上に座るべからず」、「笑ったり口笛を吹くべからず」、「跳びはねるべからず」といった人に禁止したり命令したりする看板を立てていることに腹を立て、ニョロニョロの種を使って夫婦を感電させて追っ払い、看板を全部ひき抜いてしまう。また『ムーミン谷の十一月』では、ヘムレンさんが単に「ムーミン谷」と書いた看板を橋の手摺に打ちつけただけで、気狂いみたいにとり乱す。「スナフキンのことを少しでも気をつけて見ている人だったら、この世の中には、たったひとつだけスナフキンを怒らせ、悲しませ、気狂いみたいにさせるものがある—それは看板だってことを知っているはずでした。もうスナフキンは気狂いみたいになっていました。金切り声をふりしぼり、手を振り足を踏みならし、世界中の釘という釘をみんなひっこ抜いてしまわなければ気が治まらなくなったみたいでした。(同書137/144頁)」
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  • スナフキンが、一方で、家を嫌悪し、他人のおせっかいを嫌い、人に命令したり禁止したり人を閉めだしたり束縛したりする看板を憎むことは、他方で、ひとりでいることを好み、テント生活を愛し、旅を偏愛することと同一のことがらで、つまりそれは、彼が自由を愛しているということであり、自由を束縛するものを憎んでいるということなのである。(P45)

 

「なぜ滑るのか?」とこどもたちに問えば、「そこに山があるからだ!」と答えるに決まっている、おあつらえ向きの小山が公園の中にあります。しかも、滑って下さいと言わんばかりに芝生で覆われているのです。

こどもたちはわくわくしながら段ボールを持ってきて、思い思いの所から楽しそうに、はしゃぎながら滑っています。

しかし、左の写真の無粋な看板はいただけません。スナフキンでなくともひっこ抜きたくなります。せっかくの景観をぶち壊しています。

魅力的な山を作っておきながら遊ばせないという不条理には、日本特有の責任のなすりつけあいと自由に対する大人のねじ曲がった解釈が存在しています。

これは肯定すべきリスクであって断じてハザードではないということを良識あるおとなは理解しなければなりません。

 看板 そり遊び そり遊び

 あぶない!やまからすべりおりることはきけんです。やめましょう。○○しやくしょ

 

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