子どもと大人が出会う場所—本のなかの「子ども性」を探る その5
- 2008年8月28日(木) 10:36 JST
- 投稿者: kawamoto(oidc)
原書名: SIGNS OF CHILDNESS IN CHILDREN'S BOOKS〈Hollindale, Peter〉 |
著 者: ピーター ・ホリンデイル 監訳:猪熊 葉子 |
ISBN: 4-7601-2264-8 |
発行所: 柏 書房 |
発行日:2002年9月15日 |
子ども不在の子ども性 ビアトリクス・ポター『キツネどんのおはなし』 よりの抜粋
- ビアトリクス・ポター※1は、幼い子ども向けの物語に難しい言葉を取り入れていることで有名だ。レタスを「催眠性の」と描写した例は、常に引き合いに出されている。この『キツネどんのおはなし』も例外ではない。たとえば、アナグマ・トミーがウサギ穴に「いそいそと」入る。だが、こうした大胆な言葉遊びは、幼い子どもに語彙力をつけることを目的としているわけではない。むしろ、子どもは大人の言葉を真似て、それを遊びにするものだ、という認識の表れである。
- つまり、ポターは、彼女自身が大人として言葉を楽しむこと、特にその尊大で古風な形式を楽しむことで、そこに子ども読者を招き入れようとしているのだ。ポターは子どもにこう告げる。「あなたたちもこういう言葉が使えますよ。そうすれば、ばかげた大人たちを茶化せるのです。」彼女が使う「難しい」言葉は、子どもと同盟を結ぶ一つの手段である。ポターは、常に子ども読者との間に距離を保ち、常に権威ある語り手でありながら、遊びと風刺がきいた大人という、彼女自身と同じ地位に子ども読者を引き上げる。(P221)
ビアトリクス・ポターのように、 こどもの絵本の中に難しいことばを散りばめるという試みは、心理学者ピアジェの「発生的認識論」の解釈では、「不均衡化(知らないこと)」をあえて仕掛け、それを知ろうとする働きによってこどもの学びを起こさせるということになります。
しかし、どうもそうではないらしい。ポターはむしろこどもの側にいて、ばかげたおとなたちを茶化している。
そう言われてみると『ピーターラビットのおはなし』は、現実世界へのアイロニー(皮肉)で満ちあふれていますね。
ポターに見られる、イギリス人特有の遊びゴコロと風刺の精神は、「物事の本質を見極められる、かしこいおとなになりなさい」という、こどもに、そして、おとなにも向けられたメッセージなのかもしれませんね。
- ※1 ビアトリクス・ポター (1866〜1943)ロンドン生まれのイギリスの水彩画家、絵本作家。幼少時から休暇で訪れたスコットランド、湖水地方の自然に深い愛情を抱く。のちに自ら購入し移住した湖水地方の土地を舞台にして、『ピーターラビットのおはなし』(1902)から始まる二十余冊の「ピーターラビットの絵本」シリーズが創作された。
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