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子どもと大人が出会う場所—本のなかの「子ども性」を探る その3

子どもと大人が出会う場所—本のなかの「子ども性」を探る

原書名 SIGNS OF CHILDNESS IN CHILDREN'S BOOKS〈Hollindale, Peter〉
著 者: ピーター ・ホリンデイル 監訳:猪熊 葉子
ISBN: 4-7601-2264-8
発行所: 柏 書房
発行日:2002年9月15日

大人の子ども性 よりの抜粋


  • 一方、大人がル・グウィン※1がいうところの「生き残った子ども」を、自らの内に保ち続けることができたり、成熟した自己を完成できたりするのもまた、子ども性によるのである。
  • ここで、フロリツェルからポリクシニーズへ、子どもから大人へ、あるいは息子から父親へと視線を移してみよう。すると、ポリクシニーズやリオンティーズの「大人の子ども性2」には、子どもであるフロリツェルの子ども性とはまた別の特性があることがわかる。
  • (中略)
  • 私たち大人は、物語を語ったり読んだりすること、そして小説を書いたり読んだりすることによって遊んでいる。たとえその活動がどんなに複雑であろうが、分別を伴うものであろうが、痛みを伴うものであろうが、遊びと呼べるものなのである。私たち大人は、子どもたちが読書をするときのように、意識することなく学んでいることがある。遊びというものの多くは、それと知らずになされた学びであり、また最高の学びとは、それと知らずになされた遊びなのだ。子どもの文学は、この原理に基づいている。また。大人の文学についても同じことがいえる。
  • (中略)
  • フロリツェルと遊んでいるとき、ポリクシニーズは大人であることをやめはしない。つまり大人は、子どものようには読書をしないのと同じように、子どものようには遊ばない。しかしフロリツェルとポリクシニーズの間には、相互交流がある。子ども時代や子どもの振る舞いに対する二人の思いは、喜ばしいことに一致している。この、大人と子どもに共通する価値観によって、大人はいわば参加する傍観者として子どもとつながることができるのだ。
  • (中略)
  • フロリツェルとポリクシニーズに共通して見られる、子ども時代や子どもの振る舞いに対する思いこそが、「子ども性」なるものである。フロリツェルにとっての子ども性は、子どもであるという自分の現在の状態についての感覚である。一方、ポリクシニーズにとっての子ども性は、息子と遊んだり観察したりするなかで、子ども時代の記憶を引き出したり、子どもの特性に価値を見出したり、息子の将来に希望を抱いたりすることを通じて、再構築されるものである。つまり子どもの特性は、子どもと大人に共有のものだ。もっとも子どもと大人では、異なった体験や理解の仕方をするのだけれども。(P99)

 

もうひとつの子ども性は、「大人の子ども性」という言葉です。子どもとともに遊び、笑い、驚き、感動し、価値を共有してきたものは、私のなかの子ども性がそうさせていると言えるものです。 

そして、この「大人の子ども性」こそが、文学や芸術、科学やデザインなどを生み出していく知的探究心や創造性の源となっていることは、間違いのないことだという気がしています。

 


  • ※1 ル・グウィン アメリカの作家アーシュラ・ル・グウィン(1929〜)代表作は、架空の第二世界アースシーを舞台にした魔法使いゲドの旅を描く「ゲド戦記」。
  • ※2 大人の子ども性 大人がもつ、子ども時代や子どもの振る舞いに対する思いが、大人の子ども性である。大人が子どもと共有できる特性であり、大人になっても自らの内に子どもを保ち続けたり、子どもと遊んで楽しいと感じるのは、この子ども性によるのである。
  • 大人は、子どもと遊んだり子どもを観察したりするなかで、自らの子ども時代の記憶を引き出したり、子どもの特性に価値を見出したり、子どもに期待したりする。これを通じて子ども性を再構築していくことになる。主観性の強い構築物であり、また、直接的であるか間接的であるかにかかわらず、かかわった子どもの子ども性に影響を与えるという。

タグ:こども性

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