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天に落ちる その2

天に落ちる

著 者:シェル・シルヴァスタイン 訳 者:倉橋由美子
ISBN:4-06-208537-2
発行所: 講談社
発行日:2001年10月31日

ぶくぶく よりの抜粋


  •  
  • ぶくぶく
  •  
  • こいつは
  •  
  • 世界一のでかい水たまりだと見た
  •  
  • 水を蹴散らして渡ろうとした
  •  
  • その結果これは
  •  
  • 世界一小さくて
  •  
  • 世界一深い湖だとわかった  (P91)

 

ぶくぶく水たまりを深い湖として捉えることは一種の“見立て”です。

普通、おとなはそういうことをあまり考えなくなりますが、絵本作家やアーティスト、デザイナーなどは、シルヴァスタインのようにありふれた水たまりからも創造力を膨らませることができます。

それは、日常見慣れ過ぎて意味が固定されてしまったものに、全く違った見方や意味を与える「異化」という効果であり、未知なる造形を探究するデザインにとって不可欠なアプローチではないでしょうか。

 

  

タグ:見立て 異化 こどもos

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天に落ちる その1

天に落ちる

著 者:シェル・シルヴァスタイン 訳 者:倉橋由美子
ISBN:4-06-208537-2
発行所: 講談社
発行日:2001年10月31日

歩道を歩く よりの抜粋


  •  
  • 歩道を歩く
  •  
  • ひびわれを踏むと
  •  
  • 母親の背骨が折れるそうだ
  •  
  • でもそんなこと迷信だ ハハハ
  •  
  • おっと いけね ごめんよ ママ  (P43)

 

歩道を歩く「ひびわれを踏むと、母親の背骨が折れる」というルールは、ちょっとシュールだけど、この作者が決めたルールです。

その時々でどんなルールにするかは、こども自身が決めること。

要は“自分の決めたルールを自分で守りたいと感じるかどうか”なんですね。

 

 

 

タグ:あそびのルール mineるーる こどもos

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ムーミンパパの「手帖」トーベ・ヤンソンとムーミンの世界(その4)

ムーミンパパの手帖

著 者: 東 宏治
ISBN:4-7917-6312-2

発行所: 青土社

発行日:2006年12月30日

 2 安らぎの空間、憎しみの空間 よりの抜粋


  • (1)その場にいると「安心感」が得られること。それは自分の三方や四方が(とくに背後が)、樹木や岩や薪の山などの"壁"によって守られていることによって得られる。
  • (2)それとともに、「開放感」があること。上方や前方に、空や海などの空間の拡がりがあるおかげで、閉じこめられているという感じがなくなっている。
  • (3)その場にひとりでいられ、ひとりでものを考えられること。かれらの見つけたその場所の広さは、せいぜいベッド二個分か、一人でしかいられないほどである。
  • (4)そこには太陽がさしこんだりして、「あたたみ」や「ぬくみ」が感じられること。
  • これらの共通点の一つ一つが、「安らぎの空間」を形づくる要素であることは、自分が子供だったころに、ムーミントロールのように秘密の隠れ処を見つけようとしたときのことや、成人して自分の部屋や書斎をもとうとするとき頭に思い描いたものを想い出してみれば、容易にうなずくことができるだろう。ぼくらが「家」というものに抱く夢は、こうしたものを基盤にしているのである。(P24)

 

トーベ・ヤンソンが示す安らぎの空間というものを私のこども時代に照らし合わせて見れば、それはまさに、崖に横穴を掘った秘密基地であり、土管の中のアジトであったりします。また、おばあちゃん家の薄明かりの差し込む天井裏だったかもしれません。

「現代ッ子がそんな場所を見つけられるのかな?」と思っていたら、おとなが予想だにしない場所をこどもたちが教えてくれました。

写真は、とあるショッピングセンターの案内盤の裏なのですが、傾斜した背もたれといい、温かいカーペットといい、ガラスを通して差し込む光と吹き抜けの見晴らしといい、ヤンソンが示す4つの条件を全て備えているという点と、それをこどもたちが(こどもOSを使って)環境から的確に読み取っているということに驚かされます。

 安らぎの空間 安らぎの空間

タグ:安らぎの空間 こどもos

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ムーミンパパの「手帖」トーベ・ヤンソンとムーミンの世界(その3)

ムーミンパパの手帖

著 者: 東 宏治
ISBN:4-7917-6312-2

発行所: 青土社

発行日:2006年12月30日

 7 おばあさんの教育論 よりの抜粋


  • 「ソフィアが新しい反抗期を経験したその夏は、雨が多くて寒く、戸外は不愉快で、とてもいやな夏だった。それでソフィアは、よく屋根裏に孤独を求め、ダンボール箱の中に入って、ナイトガウンを見つめながら、肝のつぶれるようなすごい言葉で話しかけたが、ガウンが言い返すはずはなかった。ときにはソフィアはおばあさんとトランプをした。二人とも同じように無遠慮にやっつけ合い、二人のトランプの夕べは毎回けんかで終わった。前にはそんなことは決してなかったのだ。おばあさんはソフィアを理解するため、自分の反抗期を思い出してみたが、たった一つ思い出せたのは、自分が並はずれていい子だったことだ。賢いおばあさんは、反抗期が八十五歳という年齢までものびることがあるかもしれないと思い、なおも自分自身を監視しようと決心した。『ソフィアの夏』167/168ページ)
  • ここでおばあさんは、孫を理解するために、まず「自分の反抗期を思い出してみた」とあるけれど、このように、年齢が寄っても自分が小さかった頃の気持ちを思い出そうとする大人は少ないが、これこそ実は親や教育者たちに求められていることなのではないか。ぼくが前に、このおばあさんが生まれついての教育者のように見えると言ったのは、こういう彼女の姿を思い浮かべてのことだ。それにしても、八十五歳になっても、なお自分の体験しなかったことが今後訪れるかもしれないと考えるところに、彼女の自由な精神の真面目が表れているではないか。(P77)

 

ここで語られているソフィアのこども性を、おばあさんが自分のこども時代を思い出して理解しようとする態度は、そのまま「プレイフル・デザイン・スタジオ」で試みようとしている方法に他なりません。

つまり、こども時代やこどもの振る舞いに対する想いや記憶を、おとなである私たちが呼び覚まし、「おとなの中のこども性」として肯定することで自分たちをそういうモードに置き、その状態を維持しつつこどもを観察することでこどもから学び、「こどもOS」を発見していこうとするアプローチなのです。

私たちが思い浮かべているアプローチが、ずっと以前にヤンソンによって語られていたということに自信を深めてもいいような気がしています。

 

タグ:おとなの中のこども性 こどもos

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ムーミンパパの「手帖」トーベ・ヤンソンとムーミンの世界(その2)

ムーミンパパの手帖

著 者: 東 宏治
ISBN:4-7917-6312-2

発行所: 青土社

発行日:2006年12月30日

 21 ヤンソンの方法 3 よりの抜粋


  • 「《これはレタスだね。》と弟は言いました。《 その調子でいくと、お前はたちまち大人になるな。パパやママみたいになって、さぞ世間の役に立つことだろう。そうなったら、お前はただありきたりのことしか見たり聞いたりしないんだ。言っとくけど、そりゃ何にも見もせず、聞きもしないってことだぞ。そうなったらもうお終いだな。》こうホムサは言いました。(『ムーミン谷の仲間たち』33/37ページ)
  • 「美しいもの」を(あるいはもっと広く言えば描くべき対象を、ここではレタスの畑を)最も簡単に言葉にし形式化して、結局形骸化してしまうのは、レタスをレタスと命名してしまうことだろう。それは書くべき対象のもつ名前の、ほんの一つにすぎないのである。もしその「美しいもの」を「レタスの畑」と言わずに黙ったまま記憶のなかにとどめ、何度も思い浮かべてみるうちに、かりに別な光に照らされたような気がして、マングローブの林のように見えてきてそう表現するなら。このメタファーはその「美しいもの」の別の名前を言うとともに、単にレタスと呼ぶ以上の奥行を、この美しいものに与えたことになるのである。(P212)

 

トーベ・ヤンソンは、分かりきった単純なものの代名詞として「レタス」を引き合いに出し、レタスの畑を見てレタスだと言う、すでにいっぱしの大人のような現実認識を持つ弟に対して兄のホムサを使って咎めさせます。

「これはレタスだ」と声に出して言うことで、そう言ったことばが巡って自分のなかで記憶される。こどもがことばを獲得して行くプロセスはその繰り返しであり、モノとことばが一対一で対応づけられることで形式化していく・・・。

その反面、こどもたちの見立て遊びやファンタジー、こどもOSが次第に失われていくということにクリエイターとして警鐘を鳴らしているのでしょう。

 

タグ:レタス こどもos トーベヤンソン

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ムーミンパパの「手帖」トーベ・ヤンソンとムーミンの世界(その1)

ムーミンパパの手帖

著 者: 東 宏治
ISBN:4-7917-6312-2

発行所: 青土社

発行日:2006年12月30日

 22 ポリフォニー、その他の手法について よりの抜粋


  • 『彫刻家の娘』のなかで、友達のポユーと少女ヤンソンとが絨毯の模の上でする遊びは、ムーミントロールの太陽の影と光の部分の踏みわけ遊びに変わっている。これは、ヤンソンの頭のなかで、絨毯の模様と、地面の斑模様との間にメタファー関係が生まれたということではないか。以下に、その二つの文章を並べて引用してみよう。
  •  
  • 「私はポユーに大きな絨毯の上の沢山の蛇から逃げる方法を教えた。蛇から逃げるには、絨毯の模様の明るい色彩の全部の上を、その明るい色の縁に沿って歩くようにしなくてはならないその縁の隣にある暗い色のところを踏めば、その人は負けになる。絨毯の暗い模様のところには、とても言葉では説明できないほどの沢山の蛇が群がっていると想像しなければだめだ。誰も他の人が想像した蛇など恐くないのだから、蛇がそこにいるのだと、自分で想像しなければならない ・・・(あと省略)(『彫刻家の娘』26ページ)
  •  
  • 「そんなわけで、ムーミントロールはモランのことは忘れてしまい、朝の太陽が投げかけている長い影の中を歩きながら、一つの遊びを始めました。まず太陽の照っているところだけを歩かなければいけないのです。影は海の底知れない深みです。もちろん泳げないと考えてのことですけれどね。(『ムーミンパパ海へ行く』31/33ページ)(P223)

 

こどももおとなも楽しめる文学であるムーミン物語。

フランス文学者 東宏治氏の「ムーミンパパの手帖」は、トーベ・ヤンソンの深い世界観を数多くの引用と明晰な分析力で読み解いています。

その中に、プレイフル・デザイン・スタジオ第1回ワークショップで参加者から得られた、こどもOSキーワード「Mineるーる」を補強する箇所がありました

ヤンソンが現実の出来事をファンタジー化する方法として東氏が分類する手法は三つ。「(出来事の)単純化」、「(登場人物の)移しかえ」、「(イメージの)膨らまし」です。この三番目の方法を東氏は、一種のメタファー化の操作だと言っています。

日本語で言うと「見立て」でしょうか。こどもたちの見立て遊びがファンタジーと同根であり、それはもちろんデザインの創造にもつながっているということでしょう。

 

タグ:あそびのルール こどもos トーベヤンソン

 

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子どもとあそび―環境建築家の眼―

子どもと遊び

著 者: 仙田 満
ISBN: 4-00-430253-6
発行所: 岩波新書
発行日:1992年11月20日

 I あそびの原風景 スポーツクラブ よりの抜粋


  • 野球クラブやサッカークラブに入って年長の子どもたちやリーダーと交流することは、子どもたちにとって良いことである。スポーツを楽しむことは子どもにとって大事なことだ。スポーツを否定するつもりはない。しかし小学生の子どもにとって、ルールを自分たちでつくるあそびの方が重要に思える。私は体育やスポーツの苦手な子どもだったが、あそぶのは好きだった。多くの場合、自分勝手にルールをつくってしまったのだ
  • もちろん、私が子どものころから柔道や剣道などのスポーツのおけいこどとはあった。しかし、少なくともボールのスポーツはあそびだった。自由な服装で、ルールを自分たちでつくってあそんだ。ルールをつくることがポイントだった
  • いま子どもたちが入っているクラブとしてのスポーツでは、ルールはすでにある。自分勝手につくってはならない。与えられるものであって、決して自由ではない。(P38)
  •  

プレイフル・デザイン・スタジオ第1回ワークショップでは、こども目線・こどもゴコロで捉えた写真から、こどもの感性や思考・行動を表すキーワードを読み解くというグループ演習を行ったのですが、そこで参加者自らが最も評価したことばとして「Mineるーる」がありました。

これは歩道の敷石、間隔のある道路の縁石、モニュメントなどから、色や形の差をこども自身が自然と読み取り、白と黒、凹と凸、セーフとアウト、ONとOFFなどの自分だけのルールに変換して、同じ色の部分を歩いてみたりピョンピョンと飛んで行ったりして、遊びにしてしまうという行動を捉えて的確に表現したことばです。

仙田氏の著書「子どもとあそび」の中にも、表現は違いますが、こどもたちがつくるあそびのルールの重要性について言及した箇所があります。

「Mineるーる」がこどもOSを構成することばの1つであることが立証できたような気がします。

 

タグ:あそびのルール こどもos

 

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子どもと大人が出会う場所—本のなかの「子ども性」を探る その5

子どもと大人が出会う場所—本のなかの「子ども性」を探る

原書名 SIGNS OF CHILDNESS IN CHILDREN'S BOOKS〈Hollindale, Peter〉
著 者: ピーター ・ホリンデイル 監訳:猪熊 葉子
ISBN: 4-7601-2264-8
発行所: 柏 書房
発行日:2002年9月15日

子ども不在子ども性 ビアトリクス・ポター『キツネどんのおはなし』 よりの抜粋


  • ビアトリクス・ポター※1は、幼い子ども向けの物語に難しい言葉を取り入れていることで有名だ。レタスを「催眠性の」と描写した例は、常に引き合いに出されている。この『キツネどんのおはなし』も例外ではない。たとえば、アナグマ・トミーがウサギ穴に「いそいそと」入る。だが、こうした大胆な言葉遊びは、幼い子どもに語彙力をつけることを目的としているわけではない。むしろ、子どもは大人の言葉を真似て、それを遊びにするものだ、という認識の表れである。
  •  
  • つまり、ポターは、彼女自身が大人として言葉を楽しむこと、特にその尊大で古風な形式を楽しむことで、そこに子ども読者を招き入れようとしているのだ。ポターは子どもにこう告げる。「あなたたちもこういう言葉が使えますよ。そうすれば、ばかげた大人たちを茶化せるのです。」彼女が使う「難しい」言葉は、子どもと同盟を結ぶ一つの手段である。ポターは、常に子ども読者との間に距離を保ち、常に権威ある語り手でありながら、遊びと風刺がきいた大人という、彼女自身と同じ地位に子ども読者を引き上げる。(P221)
  •  

ビアトリクス・ポターのように、 こどもの絵本の中に難しいことばを散りばめるという試みは、心理学者ピアジェの「発生的認識論」の解釈では、「不均衡化(知らないこと)」をあえて仕掛け、それを知ろうとする働きによってこどもの学びを起こさせるということになります。

しかし、どうもそうではないらしい。ポターはむしろこどもの側にいて、ばかげたおとなたちを茶化している。

そう言われてみると『ピーターラビットのおはなし』は、現実世界へのアイロニー(皮肉)で満ちあふれていますね。

ポターに見られる、イギリス人特有の遊びゴコロと風刺の精神は、「物事の本質を見極められる、かしこいおとなになりなさい」という、こどもに、そしておとなにも向けられたメッセージなのかもしれませんね。

 


  • ※1 ビアトリクス・ポター (1866〜1943)ロンドン生まれのイギリスの水彩画家、絵本作家。幼少時から休暇で訪れたスコットランド、湖水地方の自然に深い愛情を抱く。のちに自ら購入し移住した湖水地方の土地を舞台にして、『ピーターラビットのおはなし』(1902)から始まる二十余冊の「ピーターラビットの絵本」シリーズが創作された。

タグ:こども性 こども不在 レタス

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子どもと大人が出会う場所—本のなかの「子ども性」を探る その4

子どもと大人が出会う場所—本のなかの「子ども性」を探る

原書名 SIGNS OF CHILDNESS IN CHILDREN'S BOOKS〈Hollindale, Peter〉
著 者: ピーター ・ホリンデイル 監訳:猪熊 葉子
ISBN: 4-7601-2264-8
発行所: 柏 書房
発行日:2002年9月15日

テクスト子ども性 よりの抜粋


  • 子ども性は、子どもの文学のテクストを他の文学ジャンルから区別するための際立った特性であり、子どもがテクストを読む際に持ち込む特質でもある、ということを主張したい。
  • 子どもとテクストとの出会いは、うまくすれば動的なものとなる。つまり、テクストの子ども性※1」は、子どもの子ども性を変えることがあるし、子どもの子ども性もまた、テクストの子ども性を変えることがある。(P100)
  •  

 テクストのこども性で語られている相互作用と今日の問題点は、こどものための商品がこどもの成長過程に何らかの影響を与えるとともに、デザイナーが生みだす商品をも変えて行くという意味合いにおいて、そのまま現代のキッズデザインにも当てはまるのではないでしょうか。

 


  • ※1 テクストの子ども性 作家が、子どもの本を書く際に、テクストに付与するものである。テクストの子ども性は、子どもの読者が本を読む際にもち込む「子どもの子ども性」と交流し、相互に影響し合う。そこに子どもの文学という事象が成立する。子ども自身がもち合わせている子ども性と、テクストが内包している子ども性とは、時代差や個人差などによって合致したりかけ離れていたりする。二者の交流が生みだす作用にこそ、子どもの文学の特質があるのだが、今日の社会状況では、この交流がうまく行われるのが難しくなっているという。

タグ:こども性

 

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子どもと大人が出会う場所—本のなかの「子ども性」を探る その3

子どもと大人が出会う場所—本のなかの「子ども性」を探る

原書名 SIGNS OF CHILDNESS IN CHILDREN'S BOOKS〈Hollindale, Peter〉
著 者: ピーター ・ホリンデイル 監訳:猪熊 葉子
ISBN: 4-7601-2264-8
発行所: 柏 書房
発行日:2002年9月15日

大人の子ども性 よりの抜粋


  • 一方、大人がル・グウィン※1がいうところの「生き残った子ども」を、自らの内に保ち続けることができたり、成熟した自己を完成できたりするのもまた、子ども性によるのである。
  • ここで、フロリツェルからポリクシニーズへ、子どもから大人へ、あるいは息子から父親へと視線を移してみよう。すると、ポリクシニーズやリオンティーズの「大人の子ども性2」には、子どもであるフロリツェルの子ども性とはまた別の特性があることがわかる。
  • (中略)
  • 私たち大人は、物語を語ったり読んだりすること、そして小説を書いたり読んだりすることによって遊んでいる。たとえその活動がどんなに複雑であろうが、分別を伴うものであろうが、痛みを伴うものであろうが、遊びと呼べるものなのである。私たち大人は、子どもたちが読書をするときのように、意識することなく学んでいることがある。遊びというものの多くは、それと知らずになされた学びであり、また最高の学びとは、それと知らずになされた遊びなのだ。子どもの文学は、この原理に基づいている。また。大人の文学についても同じことがいえる。
  • (中略)
  • フロリツェルと遊んでいるとき、ポリクシニーズは大人であることをやめはしない。つまり大人は、子どものようには読書をしないのと同じように、子どものようには遊ばない。しかしフロリツェルとポリクシニーズの間には、相互交流がある。子ども時代や子どもの振る舞いに対する二人の思いは、喜ばしいことに一致している。この、大人と子どもに共通する価値観によって、大人はいわば参加する傍観者として子どもとつながることができるのだ。
  • (中略)
  • フロリツェルとポリクシニーズに共通して見られる、子ども時代や子どもの振る舞いに対する思いこそが、「子ども性」なるものである。フロリツェルにとっての子ども性は、子どもであるという自分の現在の状態についての感覚である。一方、ポリクシニーズにとっての子ども性は、息子と遊んだり観察したりするなかで、子ども時代の記憶を引き出したり、子どもの特性に価値を見出したり、息子の将来に希望を抱いたりすることを通じて、再構築されるものである。つまり子どもの特性は、子どもと大人に共有のものだ。もっとも子どもと大人では、異なった体験や理解の仕方をするのだけれども。(P99)

 

もうひとつの子ども性は、「大人の子ども性」という言葉です。子どもとともに遊び、笑い、驚き、感動し、価値を共有してきたものは、私のなかの子ども性がそうさせていると言えるものです。 

そして、この「大人の子ども性」こそが、文学や芸術、科学やデザインなどを生み出していく知的探究心や創造性の源となっていることは、間違いのないことだという気がしています。

 


  • ※1 ル・グウィン アメリカの作家アーシュラ・ル・グウィン(1929〜)代表作は、架空の第二世界アースシーを舞台にした魔法使いゲドの旅を描く「ゲド戦記」。
  • ※2 大人の子ども性 大人がもつ、子ども時代や子どもの振る舞いに対する思いが、大人の子ども性である。大人が子どもと共有できる特性であり、大人になっても自らの内に子どもを保ち続けたり、子どもと遊んで楽しいと感じるのは、この子ども性によるのである。
  • 大人は、子どもと遊んだり子どもを観察したりするなかで、自らの子ども時代の記憶を引き出したり、子どもの特性に価値を見出したり、子どもに期待したりする。これを通じて子ども性を再構築していくことになる。主観性の強い構築物であり、また、直接的であるか間接的であるかにかかわらず、かかわった子どもの子ども性に影響を与えるという。

タグ:こども性